「超偏愛!映画の掟」読んだ印象を社内共有

本の情報

荒木飛呂彦の超偏愛!映画の掟

この本を買った理由

荒木飛呂彦氏の漫画以外の作品に触れたかったから
装丁の帯に彼の絵が描かれていたから(ジャケ買い)

この本を紹介しようと思った理由

気になる箇所に印やコメントを大量に書き込んだ数少ない本だったから

エンターテイメントの基本にはサスペンスがある

と本書の中で荒木氏は書いています。

サスペンスとは、不安や緊張が伴った状態やその光景のこと
どんなに幸福そうに見える人でも生きている以上は何かしらの不安は抱えているもの。そう考えれば、サスペンスと無縁の人間はいないということになります。

人はなぜサスペンスを観るのか。答えはすでに出ているのかもしれません。

荒木氏はサスペンスには5つの大事な要素があると述べています。

そのうちの「主人公に感情移入できる」「泣けるかどうか」この2つについては、なるほどといった感じで、とても分かりやすい指標になります。

私の場合、映画を観る醍醐味としてストーリーを楽しむというより、主人公やその他の登場人物を自分に置き換えて、もしあれが自分だったらどうするだろうとアレコレ考えたりします。

期待しない生き方

上に挙げた1つ、「泣けるかどうか」に関連して、みなさんこんな経験はないですか?
(これだけあの人のことを思っているのに、その思いは報われない……)

男女間の恋愛に限定しなくても良いです。家族やその他、大切にしたい間柄としましょう。そんな大切な相手への思いがこれほどにも報われないのかと、その描き方によっては悲しすぎて泣けてくるかもしれませんね。

荒木氏は数多くの映画の中でそれに気付きまくり、たくさん涙を流してきたようです。

このくだりを読んで私が感じたのは、決して悪い意味ではなく、まわりに期待しない生き方をしようということでした。

期待を掛ける。 そしてその期待値が大きければ大きいほど、レスポンスがこちらの期待値に届かなかったら人間は落胆するのではないか。そう感じたのです。

ヒーローを定義する

本書の第五章ではクリント・イーストウッドについて、丸々一章を費やしています。

荒木氏はヒーローという存在について、イーストウッドの作品を通してこういうものであるときっちり定義しています。

世間からは理解されないけれど、それでも自分の思う正義を貫くために突っ走る人」。

それがヒーローなのです。逆にいうと、世間の誰からもその行動ぶりを認められたらそれはヒーローという枠から外れてしまうということです。

私自身も前者でありたいと常に願っています。

本書の中には出てこないのですが、私がクリント・イーストウッド作品の中でもっとも印象に残っているワンシーンがあります。

「マディソン郡の橋」の後半です。
関係を持った人妻が、自分を選んでくれると信じ、強い雨を受けながら相手の男(旦那)の車から彼女が降りてこちらに駆け寄って来るのをしばらく待ち続けるのです。

結局女性は旦那の方を選び車から降りて来ることはなかったのですが、長い時間雨に打たれ続けている時のあの何とも言えない表情には、無言で脱帽する以外の敬意の表し方が浮かびませんでした。

それほどの存在感、そして衝撃度だったと言えます。

最後に。本書のあとがきから荒木氏の言葉を引用します。

大切なことを決断するとき、病気になったとき、お腹がすいたりしたとき、結局のところ人間は一人ぼっちなのです。
一人ぼっちでいることの恐怖に打ち震えるからこそ、人は身近な付き合いから人類共存・共栄、平和まであらゆる人間関係を大切に考えます

ここまでちゃんと言葉に落とし込んだ荒木氏は本当に素晴らしいと思います。

そしてこの言葉と出会って以来私は、一人で過ごす孤独な時間の中にこそ成長の種が潜んでいるということを確信するようになったのです。

以上、今回の担当は児島でした。

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